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凧揚げは昔イカ揚げだった?!

なぜタコ??

 1月になり、公園で親子で凧揚げを楽しむ人の姿が見られます。お正月の遊びとして挙げられる「たこあげ」ですが、なぜたこを揚げるのか疑問に思ったことはありませんか?今回は名古屋オーシャン野球教室がその凧揚げについてまとめました。

いつから始まった?

 凧揚げは、中国から伝わったとされています。「紙鳶(しえん)」と呼ばれ中国や韓国では宗教や戦具などに凧が使われていたそうです。又、盗賊による被害を受けていた地域で占いに従い凧揚げを行った所、その地域は危険を回避することができたという言い伝えもあるそうです!

 日本で凧揚げが正月遊びとなったのは、江戸時代後期だと言われています。それまでは、貴族や武士の一部で遊ばれていましたが、江戸次第に入り大人から子どもまで身分差無く流行し、イカの形や金銀をちりばめた豪華な凧など様々な物が使われていたようです。戦国時代には、武士が凧を通信手段として使用することもあったそうです。また、平安時代には魔物や病気などが風に乗ってくるのを防ぐ道具として使われていました。

 明治期になると、電線や建物にさえぎられ、自由に凧を揚げることが難しくなり徐々に衰退してきたそうです。

昔はイカだった!!

 江戸時代に空中でバランスを取る為、紙や糸が付けられ、ヒラヒラと付いた足がイカのように見えたことから「いか」「いかのぼり」とも呼ばれるようになった。イカのぼりは大流行していたが、誰が高く揚げられるかを競っている間にイカのぼり同士がぶつかり落下する事故が多発し、死傷者が出たり火の付いたイカのぼりが落下することもあったそうです。これを見た江戸幕府が「いかのぼり禁止令」を発令し、イカのぼりは無くなりました。

 しかし、庶民の中で「いかのぼり」のことをイカに似たたこを使い「たこのぼり」と名前を変え呼び始めると江戸でまたまた流行した。幕府は「たこのぼり禁止令」も発令したが、庶民はこれを無視し、たこのぼりを楽しんだそうです。その後に家内安全や商売繁盛を祈願して揚げられるようになり、この習慣が今も残っているそうです。

 又、男の子の誕生を祝い、無事に成長することを祈る儀礼として凧揚げが行われたそうです。

いかのぼりが禁止になって、凧揚げに変わった、スポーツも危険なことがあるとルールが新しく改正するケースがあります。その状況に応じて適用することはとても大切なことですね。

名古屋オーシャン野球教室でも子供達に応じて指導法やルールなどは日々変わっていきます。固定概念が一番子供達の成長を妨げてしまうことが多いので、自由な発想で今後も運営していきます!!

凧揚げ大会

 現在では、様々な地域でイベントや大会などを行い凧揚げが楽しまれています。例えば、新潟県新潟市では「白根大凧合戦」といって相手の凧綱を交差させ、水面に落とし、川の流れを利用し相手の綱を切るという合戦があります。もともとは、川を挟んだ住人同士が凧を相手の土地に落としたことで農作物に被害を与えたことがきっかけとされています。

 埼玉県の春日部市では、「大凧あげ祭り」が行われています。この時に揚げる凧は、3カ月かけて和紙と竹で作られるそうで、子ども達の健やかな成長を願い市民一体で行われるお祭りだそうです。

 他にも各地で「親子で凧揚げ」等様々なイベントが行われているようです。

凧揚げのコツ!

名古屋オーシャン野球教室的凧揚げのコツをスポーツ視点で解説していきます!!

  • 軽さ

→風ですぐに浮く方がよく飛ぶため、なるべく軽い素材の物を選ぶ。

  • バランスを整える

→左右対称のシンメトリーにする。そのため自分で作る場合は長さなどをしっかりと図る。

  • 場所

→建物や木など障害物の無い場所を選ぶ。

  • 一人よりも二人で!

→一人は紐を持ち、もう一人は凧を持つ。二人で風上に向かって走り、勢いが付いた時点で凧を持っている人が離す。

ただ凧揚げを楽しむだけでなく、このように様々な方法を試してみることで「高く飛ぶようになる!」等また違った変化が楽しめるのかもしれませんね。

 さて、変化と言えば、名古屋オーシャン野球教室でも日々のスク-ルの中でお子様の変化を大切にしています。例えば、以前できなかったことが少しでもできたという小さな変化も見逃さず、たくさん褒め子どものやる気や自信に繋げます。

野球で学んだことをうまく日常生活にスライドができる様に野球の探究心を勉強やいろんな物事に向けれる様にコーチ達の指導も乞うご期待ください!!

私達名古屋オーシャン野球教室は日々進化していきます!!

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