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吉野家とポケモンがコラボその名も「ポケ盛」

吉野家が、ポケモンと協力し、12月19日11時から「ポケ盛」を全国の吉野家で販売するそうです!ジュースやフィギュアが付属する「ポケ盛牛ドンセット」や「ポケ盛キッズ牛ドン」などを展開します!!

吉野家の牛丼と、名前にドンがつくポケモンたちがコラボ。第1弾は、リザードン、グラードン、ヤドン、ウツドン、トリトドン(にしのうみ)、トリトドン(ひがしのうみ)が登場します。

「ポケ盛」は、店内で食べる場合とテイクアウトで食べる場合で異なっていて、店内の場合は、外面にモンスターボールをデザインした「ポケ盛専用ドンぶり」で提供します。底には第1弾で登場するポケモン6匹のうち1匹が潜んでおり、どのポケモンが出るか、ワクワクしながら牛ドンやカレーを食べられるそうです。第1弾の特製フィギュアは全6種類で、第2弾以降もドンドン、ポケモンが登場予定になっています。

テイクアウトで食べる場合は、外面にモンスターボールをデザインした特製テイクアウト容器を使用し、名前にドンがつくポケモン特製フィギュアいずれか1匹とフルーツミックスジュースをセットにしています。

また、「ポケ盛専用ドンぶり」プレゼントキャンペーンも実施。店舗で使用しているものと同じ専用ドンぶりを抽選で1,130名にプレゼントだそうです!

子供たちは大興奮のコラボが実現ですね。大人も最近はポケモンGOなどの影響で気になる人もいるのではないでしょうか?

名古屋オーシャン野球教室も、先日、合宿でコラボしたばかりです!!

お互いメリットと、サービスを受ける方々へも嬉しいのがコラボ。誰が考えたんでしょうね。

そして、運営する側の名古屋オーシャン野球教室も見習っていかないといけません。

そんな吉野家は創業100年を越えています!昔からある吉野家を皆さんはどれくらい知ってるでしょうか?

吉野家築地1号店が食通たちに愛されたワケ”「市場に育てられた」

全国の“吉牛”ファンから聖地として親しまれてきた吉野家「築地1号店」が築地市場の豊洲移転に伴い閉店しました。当日は朝から長蛇の列ができ、SNS上にも「たくさんお世話になりました」、「長い間、ご苦労様でした!」と感謝のコメントが相次ぎました。豊洲市場店として新たなスタートをきりますが、閉店を惜しむ声は多いようです。1947年の開店から59年の長きにわたり市場で働く人々の胃袋を満たし、近年では、観光客も多数訪れていた築地の名店の軌跡を追ってみましょう。

昔からあるものがなくなるのは寂しいものです。私たち名古屋オーシャン野球教室はまだ新しいですが、これから歴史を作って愛されるクラブチームを目指します!!

食への強いこだわりを持ち、客の胃袋を掴み取った「築地1号店」

ファンの間ではよく知られた話しですが、吉野家「築地1号店」には他店にはない特徴があります。ひとつは、壁に設置された木箱の箸入れ。わずか15席、小さなコの字型カウンターだけの手狭な店内を効率よく使うための工夫で、吉野家「築地1号店」の歴史を刻むシンボルにもなっています。そして、もうひとつは同店ならではの“特殊オーダー(裏メニュー)”です!!

 具材と白米を黄金バランスで盛った「並盛」に対し、つゆが多めの「ツユダク」や玉ねぎの割合を増やす「ネギダク」などは一部他店でも対応していますが、吉野家「築地1号店」はさらに細かいオーダーも可能となっているそうです。タレや玉ねぎの量を減らす“ツユヌキ”“ネギヌキ”のほかに、牛肉の脂身の量を増減させる“トロダク”“トロヌキ”に、ご飯少なめの“かるいの”などがあります。最もユニークなものは“ニクシタ”というのもあるそうです。

 “ニクシタ”は一見すると白米だけの丼で、箸を入れ食べ進めると、丼の底からたっぷりのタレと牛肉が顔を出す仕様です。白米と牛肉の盛りつける順番を逆にした裏中の裏メニューです。白米にタレがかかっていないため、牛丼でひとくち、付け合わせの漬物と白米でひとくち、とさまざまな楽しみ方ができます。

 お客の細かなオーダーに応じるのは、マニュアル対応が基本のチェーン店としては異例のことだです。しかし、それには理由があったんです。日本最大の水産物卸売市場として知られる築地市場には、舌の肥えた人々が多く、そんな「食への強いこだわりを持った客」の要望に応えるため“特殊オーダー”は始まったそうです。

方針やルールが決まっていても、必要に応じて変えるというのはとても大切です。長く運営するには必要な変化ですね。

震災、戦災からの再開

 社歴によると吉野家の誕生は1899年に遡ります。料亭で働いていた創業者・松田栄吉が、当時はしりだった「牛めし」に目をつけ、日本橋にあった魚市場に店を構え、魚河岸で働く職人たちに腹いっぱい食べてもらうため、当時高価であった牛肉とごはんを「有田焼の丼」で提供したのが始まりだそうです。

 その後、関東大震災(1923年)による魚市場の築地移転に伴い、吉野家も移転し、東京大空襲(1945年)で店舗を焼失するも、戦後すぐに屋台で商売を始め、1947年に築地市場で店舗を再開すします。これが、現在の吉野家「築地1号店」になります。屋号の「吉野家」は、築地店を再開させた初代社長の松田瑞穂が命名しました。

 当時の牛丼は鰻重と並ぶ高級フードにも関わらず客足が絶えず、その味を求めて多くの客で賑わったそうです。そんな中、松田瑞穂は24時間営業という新たなスタイルを打ち出すし、市場の朝は早く、一般的に早朝といわれる4~6時の時間帯には、すでに人々がせわしなく行き交っています。作業は海産物が搬入される前日夜から始まっているので、市場関係者にとって24時間営業は、大きな喜びをもって歓迎されたことでしょう。

「豊洲に移っても、市場関係者の皆様に美味しい牛丼を提供したい」

 現在の吉野家に通ずる“はやい・うまい、牛丼”も松田瑞穂の功による。それまで、高級な食事だった牛丼を安価で提供するため、具材として入っていた焼き豆腐や筍をやめ、牛肉と玉ねぎだけのシンプルな丼にかえ、メニューは牛丼のみになりました。

 味や使用する調理器具の改良を重ね、1968年に2号店となる吉野家「新橋店」をオープンすると、約10年で200店舗を突破し、市場の人々に愛された味は“国民食”へと成長していきました。その後「吉野家」としては、経営不信による倒産し、米国のBSE問題に端を発した牛丼販売休止など、幾多の危機に直面するも、その都度、復活を遂げてきました。これら92年にわたる「吉野家」の歴史を見守り続けた吉野家「築地1号店」!!全国の“吉牛”ファンのみならず、同社社員にとっても特別な想いがあるに違いありません。

時代と共に変化する、長くやっていればいろんな波があります。変わらずに貫き通す部分と、時代に合わせて変化させる部分。この二つがなければ維持する事は難しいでしょう。

名古屋オーシャン野球教室は時代の最先端をいきながらお客様にサービスを提供します!!

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