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“松坂大輔の西武復帰が遅れた理由”

 元怪物の古巣復帰が決定的となりました!!埼玉西武ライオンズが松坂大輔投手の獲得調査を進め、オファーを出すという流れでしたが、水面下では両者の間でほぼ合意しているという噂もありました。松坂は14年ぶりにライオンズのユニホームに袖を通すことになります。

 名古屋オーシャン野球教室としては、中日でプレーを続けて欲しかったですね。しかし、世代としては、西武ライオンズへ戻ってのプレーも懐かしく、早く見てみたい気持ちも大いにあります!!

“正しい選択なのか”

 メジャーリーグで活躍し、2015年から9年ぶりに日本プロ野球界へ復帰し、最終的には福岡ソフトバンクホークス入りを果たしましたが、その際もメディア報道の間では国内復帰先として古巣・西武の名前が挙げられていました。しかし噂話が先行しただけで結局、獲得に名乗りを上げることはありませんでした。当時、松坂の獲得にゴーサインが出なかったのは親会社・西武ホールディングスの意向だったとも言われています。

企業コンプライアンスの遵守に厳格な同社は、かつて「西武王国」を築き上げたものの失脚した西武鉄道グループ元オーナー・堤義明氏と完全に袂を分かっています。その堤氏が全盛を極めていた1998年のドラフトにおいて西武は1位指名で3球団競合の末に「平成の怪物」の入団交渉権を獲得しました。堤氏の秘蔵っ子とささやかれるほどの寵愛を受けながら、入団後の松坂は球界を代表する大投手へと成長しました!!こうした経緯があることから西武ホールディングスの幹部間には松坂を〝堤一派〟と見る向きもあり、ここまで古巣復帰に対しては長らく消極的だったようです。

 ところが今オフ、風向きが大きく変わりました。所属先の中日ドラゴンズとの交渉が不調に終わり、松坂は退団が決まり、ここで渡辺久信GMら現場トップの尽力もあって松坂の復帰に慎重だった西武ホールディングス幹部が折れ、首を縦に振ったといわれています。ただ、松坂については親会社ルートで入念な身辺調査が入れられているようです。

 きちんと〝堤カラー〟から脱却しているか、あるいはかつての西武在籍時に諸々疑われるようなブラックボックスの存在はなかったのか。今や西武のコンプライアンス厳格化は12球団トップクラスとされています。

 どの球団よりも法令遵守の徹底化を図っている西武だからこそ、かつての功労者であっても容赦なく丸裸にします。過去の問題がほじくり返されて発覚するなどという事態になれば、親会社としてはたまったものではないからです。現役晩年とはいえ、まだまだ注目度抜群の松坂だけにメディアからの標的にもなりやすいですね。。。

 人と人の出会いはとても大切です。名古屋オーシャン野球教室でも、多くの子どもと多くの親御さんに出会います。一つ一つの出会いが、プラスになるように尽力しています。そして、法令遵守もとても大切です。しっかり、決まりを守り、その中で大胆にやる!どこの会社でも法令遵守は一律決められています。そこでそれぞれ特色を出しています。

“問題なしと判断”

 そう考えればたとえ松坂と言えども親会社が疑いの目を向け、遠隔ながら〝身体検査〟を施していたのも理解できます。その結果、今回親会社側から松坂は〝問題なし〟と判断されたようですね。

 ソフトバンク、中日とNPB球団に米メジャーから戻って来て通算5年間在籍し、ブランクが空いていた日本球界の水に再び慣れたと判断されたところも、古巣復帰へのプラス要素となったようです。しかし、松坂の西武復帰は思いのほか世間から手放しで歓迎されてはいない雰囲気です。今オフ、どこかシコリを残したまま中日を退団したことがハレーションを起こしているように感じられます。

 中日側から来季残留を望まれ、契約延長のオファーを提示されたものの松坂は応じることなく退団し、前監督でシニアディレクターを務めていた森繁和氏と編成部国際渉外担当・友利結氏の理解者2人が揃って9月いっぱいで球団を去ると「僕もいてはいけない」と口にし、一方的に中日のオファーを足蹴にしてしまいました。

 確かにドラゴンズ入団の道を作ってくれたのは、この2人です。でも路頭に迷いかけていたところでチャンスを与えてくれたのだから、中日球団に残って現役最後まで恩返しするという選択肢はあった方が良かったでしょう。しかし、松坂は悩む様子もほとんど見せず、あっさりと去ってしまったことで竜党からは落胆の声も聞かれました。

 今季は2試合に登板しただけで0勝1敗、防御率16・88。キャンプ中にファンから手を引っ張られたことで右肩を故障し、一軍の戦力にはまったくなれませんでした。しかも5月にはリハビリ中二軍の練習日にも関わらずゴルフに興じていたことが発覚し、批判の嵐にさらされています。

 中日1年目の昨季こそ11試合に登板し、6勝4敗、防御率3・74でカムバック賞も受賞したものの、一転してお荷物状態のロートルに成り下がってしまいました。それでも減額制限を超える条件提示だったとはいえ、中日側が自ら歩み寄って残留交渉に乗り出そうとしたものの突っぱねられたとあっては周囲から「最初から松坂は西武とデキていたのでは」と勘繰られてしまうのも無理はないでしょう。中日の球団内からは次のような厳しい言葉も飛び出しています。

 「ドラゴンズは球団として引退後、松坂に対して指導者の道も用意していた。でも、これでその線はぷっつりと切れてしまった。人気面で大きな悩みを抱えている中日球団としては大きな痛手。現場首脳陣も右肩痛の影響でほぼ戦力になれなかった松坂にはシーズン中から今後の方針について話し合いをしようとしたにもかかわらず、のらりくらりとかわされて応じる気配がまるでなかったと嘆いていた。それで結末が、この退団劇ですからね。だから当事者から『もっと筋を通してほしかった』と怒りのブーイングが出るのも当然です。まあ、もう終わったことだから勝手にしてくれという感じですが」

 自分の信念があるのであれば貫き通す事は悪い事ではないと思います。しかし、それを周りが受け入れられるかは別の話。そして、言葉だけではなく行動が伴っていなければ認められるものではありません。のらりくらりやっていくのも悪くはないし、信念を貫き通すのも大変です。でも、やり遂げる事こそ、価値があると思います。名古屋オーシャン野球教室も信念とともに日々、切磋琢磨しています!!

“最後の花道”

Green grass with white flowers, illustration.

 逆に言えば、西武側は松坂に最後の花道を用意する意味でUターンを認めたということではないでしょうか。かつて怪物と呼ばれた右腕も来年9月で40歳を迎えます。来季限りで引退となり、そのまま翌年からコーチとして入閣するシナリオも考えられなくはありません。中日在籍のラストイヤーにゴルフ騒動や退団時にハレーションを引き起こしたことによって今の松坂に対する世間からの風当たりは強くなっています。身辺調査まで遂行してコンプライアンス遵守の徹底化を図る西武球団が、厳しい立場に追いやられている松坂を古巣としてどのようにマネジメントしていくのか。入団が正式発表される今月下旬以降、注視していきたいと思います。

 良くも悪くもスター選手の宿命です。そんな星の元に生まれたからには最後にはみんなに認められて終わってほしいと思います!!

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