日本シリーズ愛知県出身プロ野球選手その1

日本シリーズがおもしろくなって来ましたね! 名古屋オーシャン野球教室の子ども達は野球の話が持ちきりかな?名古屋市の野球教室の為、中日ドラゴンズのファンが大半を占めています。見てない子も多いかも。。。笑 そんな生徒達のために今回は日本シリーズで活躍している、愛知県出身の選手をピックアップでシリーズ化します。 今回は唸る豪速球に消えるおばけフォーク、育成から這い上がったあの選手についてピックアップしていきます!

千賀滉大(福岡ソフトバンクホークス)

2010年秋、育成ドラフトで千賀は4巡目指名を受け、福岡ソフトバンクホークスに入団した。 千賀滉大に与えられた背番号は128だった。基本的に背番号は、その選手への期待値を示している。ピッチャーなら10番台か20番台がエリート。30番台、40番台、50番台……と数字が大きくなるに従い、逆に期待値は下がっていきます。 最初のスタートは三軍。一軍までの道のりは普通の入団より険しい道のりです。 時間をかけて体をつくり、実戦を重ねて技術を育む。資金が潤沢な福岡ソフトバンクホークスだからこそできる育成システムが無名で故障がちの千賀には幸いした。 「すぐに弱音を吐くんです」 こう語るのは当時の三軍投手コーチだった倉野信次だ。 「体も細く、100メートルダッシュを10本させると『吐き気がします』と言って離脱してたとのこと。 彼の場合、投げることよりも、まずは体力強化。肩の関節が柔らかいということは、すなわちそれだけ肩に負担がかかるんです。体幹はもちろん肩周辺のインナーマッスルを鍛えるトレーニングまでいろいろとトレーニングをしていました。 すぐに『コーチ、もうダメです』とぶつぶつ文句を言うのですが、やる気と向上心はありました。ないのは体力だけ」 2011年のキャンプ直後に当時怪我で二軍入りを余儀なくされた、2度の沢村賞に輝いている斉藤和巳はリハビリを兼ねたトレーニングを行っていた。の球場横のブルペンに顔を出すと、入ったばかりの千賀が投げているのを見て、その急速に驚愕。 後に『彼こそはソフトバンクの育成システムによって育て上げられた選手だと思います』と千賀滉大を評価した ソフトバンクが三軍制を導入したのは2011年。イースタン・リーグが7チームあるのに対し、ウエスタン・リーグは5チームと小所帯だ。必然的に若手選手の出場機会は限られる。その解決策としてホークスは三軍制を導入したのです。 新しいシステムづくりに尽力したのが当時の球団取締役・小林至だ。 以前、彼はこう語っていた。 「二軍制だと選手は60人もいれば十分。ケガ人が出ても、この人数なら何とかなります。それを考えると70人という現行の支配下選手枠は本当に中途半端な数字なんです。下位指名の選手は、ほとんど試合に出られない。 ところが三軍制にすると、多くの選手にチャンスが回ってくる。育成選手でも支配下登録できそうな選手がたくさん出てきた。しかもバス移動が多いためハングリーさも身につくんです」 体の使い方を覚えるために千賀が福岡県八女市のスポーツトレーナー鴻江寿治のもとを訪ねたのは1年目のオフだ。 鴻江によれば選手に限らず人は「猫背型」と「反り腰型」に分類することができるという。千賀は後者になる。 「反り腰型は踏み出す方の足の骨盤が閉じている。そのために下半身で投球をリードしなければいけないんです。 注意点として『左足をできるだけ横に向けたまま投げることを意識しなさい』と言いました。『スパイクのマークを捕手に見せる時間を長くするイメージで』と。ですからマークが見えている時は千賀の調子のいい時です」 スパイクのマークの向きが千賀滉大の調子の良し悪しを判断する材料になっていた。

世界レベルまでに到達

 ベスト4に進出した今春のWBC。28人のサムライの中で一番男を上げたのが千賀である。日本人選手ではただひとりベストナインに選ばれた。 4試合に登板し、防御率0.82。大会記録となる16三振を奪った。 大会史上初のタイブレークを制した2次ラウンドのオランダ戦。3番手で登板した千賀は5、6回の2イニングを無失点に封じた。 先発・千賀は5回をピシャリと抑え、米国行きに貢献した。強打のイスラエルに付け入るスキを全く与えなかった。 準決勝の米国戦は読売ジャイアンツの菅野智之の後を受け、1対1の7回から2番手として登板した。ドジャースタジアムのネット裏ではスピードガンを持ったメジャー各球団のスカウトマンが目を光らせていた。 7回から8回にかけての奪三振ショーは圧巻だった。5番エリック・ホズマー(ロイヤルズ)、6番アンドリュー・マカチェン(パイレーツ)7番バスター・ポージー(ジャイアンツ)。8回に入って先頭の8番ジャンカルロ・スタントン(マーリンズ)。メジャーリーグの名だたる強打者たちを自慢のフォークとストレートで圧倒した。

お化けフォークの誕生秘話

  野球好きなら一度は耳にしたことがあるだろう千賀の代名詞『お化けフォーク』 千賀が明かす秘話、使い物にならなかったフォークが「お化け」になるまで。  時は2年前の2017年の球宴プロ野球は前半戦が終了し、14日にナゴヤドーム、15日にZOZOマリンスタジアムで「マイナビオールスターゲーム2017」が開催される。  そのオールスター。今季のパ・リーグ先発部門で、ファン投票1位で選出されたのが、福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大投手。前半戦は左背部の張りを訴えての離脱があったが、他球団の好投手をおさえてのトップ選出に「パ・リーグの名だたるピッチャーを差し置いて、なぜ僕なんだろうとは思いますけど、光栄なことだと思ってしっかり投げたいと思います」と話していた。  千賀のファン投票選出には、当然、今春のWBCでの活躍が加味されているだろう。侍ジャパンはベスト4での敗退となったが、千賀は先発、中継ぎとして大車輪の活躍を見せ、各国の打者相手に奪三振ショーを演じた。世界に衝撃を与え、侍ジャパンから唯一、大会ベストナインにも選ばれた。  150キロ超のストレートも威力十分だが、やはり千賀の代名詞といえば、驚異の落差を誇る「お化けフォーク」。オールスター選出が決まった際に、右腕自身も「選ばれた理由の大半はフォークボールのイメージだと思うので、それをしっかり使える準備をしたいと思います」と自認し、球宴の舞台でフォークを存分に披露することを誓っていた。 当初はスライダーが武器、フォークは「全然変化しなかった」 「千賀=お化けフォーク」のイメージは、プロ野球ファンに完全に定着したが、このフォーク、元々は「使い物にならなかった」というから、驚きである。  愛知の県立蒲郡高出身の千賀。愛知といえば、名古屋市の愛工大名電や中京大中京といった私学が甲子園出場の常連。千賀の蒲郡高も、県内でもそれほど名が通った高校ではない。当時の千賀は、スライダーを武器とする投手だった。 「高校のときから投げていましたけど、投げていたと言っても、ほとんど使い物にならないものでした。全然変化もしなかったですし」。高校時代から持ち球にフォークはあった。だが、今のような変化をするわけでもなく、それどころか、全くといっていいほど変化しない代物だったという。  プロに入ってからも、しばらくはその変化には変わりがなかった。2012年にファームで結果を残し、4月23日に支配下登録をされたが、この時もフォークが武器ではない。転機が訪れたのは、プロ3年目の2013年。この年、千賀は中継ぎとして1軍に抜擢され、51試合に登板。1勝4敗17ホールド1セーブをマーク。初めてオールスターにも出場した。 『お化けフォーク』の誕生は、突然のことだったという。千賀が振り返る。 突然「劇的に」落ちたフォーク、同じ握り「あまりいないかも」 「中継ぎになるならば、真っすぐ以外にもう1個、信頼出来るボールが欲しいな、と。その中で、全然使えないフォークをどうにかしたいと思ったんです。12年と13年の間のオフに(中日ドラゴンズ)吉見さんと自主トレしたときに、練習の仕方とかを教わりました。そこから、それを意識して練習していったら、ふと落ちるようになったんです。劇的に、です。投げていて、いきなりファッと落ちるようになった。『何だ、今の?』ってなりました」  突然、見たこともない落差で落ちたフォーク。その感覚を忘れないように、意識しながら練習を積み重ねていった。「(変えていたのは)投げる意識とかですね。腕を振るのはもちろん、真っすぐよりも腕を振るイメージです」。  様々な握りを試し、行き着いたのは、人差し指だけを縫い目にかけるというもの。現在チームメートの中田賢一も同じ握りだというが、それでも「あまりいないかもしれない」という握り方だという。  完全に武器として定着した今も、投げる際にはストレートを投げる時よりも、腕を強く振ることを意識している。「それくらいじゃないと、誤魔化せないんです。あれだけ変化するので、打者も分かる人は分かってしまう。腕を振って、誤魔化しています」。  もちろん努力の賜物ではあるものの、ある意味、突然変異で誕生したのが「お化けフォーク」だった。

最後に

たとえスタート地点が他の選手と遅れていても、モチベーションのエンジンがかかれば、とんでも無いところまで行ってしまうというのは子供達に勇気と希望を与えてくれます。 どこかの無名校であろうとも目的が1つこだわれば、行き先のルートは違えど必ず目的地にたどり着けることを千賀選手から学びました。 名古屋の野球教室オーシャンでも、野球のみにこだわらず自分の立てた目標をやり抜くオールアウトの精神を育んでいます。 何人世界を驚かす子どもがいるんだろうと考えると、ワクワクして毎日が遠足気分ですね。 子供達の夢をどれだけサポートできるのか、クラブは全力です!!! それでは次回もお楽しみに~

2019年プロ野球ドラフト会議!!

皆さん!! 今年のプロ野球ドラフト会議はご覧になりましたか? サンフットボールの方も、スカイオールスポーツの方も、もちろんオーシャンベースボールクラブの方も、スポーツの一つ一つに興味を持っていただければ幸いです!! さて、プロ野球ドラフト会議は、毎年テレビ中継されます。他のスポーツでもドラフト会議というのはありますが、日本では野球のドラフトが1番有名だと思います。 毎年プロ野球にはたくさんの新人選手がドラフトで入団しますが、今まで様々なドラマが起こってきた歴史があります。 入団を希望していた以外のチームに指名されて入団を断ったパターンや、くじに書かれていたマークを契約交渉権と勘違いしてしまって会場で喜びを爆発させてしまった監督などもいます。特に大学や高校で活躍しプロからも注目されている選手などは何球団ものチームから指名される事があります。プロ野球の長い歴史の中では、過去には8球団が1人の選手を指名して競合したという事もありました。 1993年から導入された大学生と社会人野球の選手が希望した球団に入ることが出来る逆指名制度も2006年に廃止された事で、より競合での指名も増えてきています。今後のプロ野球人生を左右するドラフト会議により、希望している球団に運良く入れる選手もいれば入れない選手もいます。テレビ中継もされるので、指名されて涙する場面や喜びを爆発させるシーンはドラマティックでもありファンを一喜一憂させます。 また、プロ野球では1球団につき70人までしか支配下登録する事が出来ないので、2005年度より育成を目的とした育成ドラフトも導入されました。最近では育成から這い上がって1軍で大活躍している選手もたくさんいます。 このように、ドラフトの歴史では様々なルール変更や、名場面などがあります。 現代では、学校で成績の順位をつけないとか、スポーツテストの順位をつけないとか、運動会でリレーをしないとか、時代の流れで競い合いや、順位で評価しないという流れがあります。それ自体は、否定しませんが、自分が今どの立場にいるのか、自分と周りとの差はどこにあるのか、どれくらいあるのか、いろんな意味で順位をつけるというのは大事だと思っています。 クロススポーツクラブでも、時折、NO1を目指しなさい!と伝える事もあります。 ドラフト会議は球団によって取る選手の傾向もありますが、これからプロで活躍する前に、自分がどのような評価をもらっているのかが分かるとても大切なものだと思います。

あの名選手イチローはドラフト4位

しかし、あのイチローが実はドラフト4位での入団だったのはご存知でしょうか?更には、入団してしばらくは一軍へ行ったり二軍へ行ったりの繰り返し、なかなかレギュラーへの道は険しかったのです。今のイチロー選手から想像できませんね。 大選手になったのは、いろんな要因があると思いますが、自分の信じた道を貫く、諦めずに最後までやり切る、試行錯誤でしっかり考えて行動する。どんな天才でも、意外とやっている事は誰にでも出来る事だと思っています。それを当たり前に出来るかどうかが分かれ道なんです。 話が少しそれましたが、今年のドラフトで入った選手たちがこれからどうなって行くのかが楽しみです。 願わくば、オーシャンベースボールクラブから甲子園選手、プロ野球選手が誕生する事を期待しています!!!

ラグビー日本代表から学ぶ3つのこと

現在、国内で感動と勇気を今一番与えてくれるラグビー日本代表。スポーツの壁を超え、様々な人に勇気を与えているのでは無いでしょうか?

当クラブでも子供達からラグビーの話で持ちきり!!ラグビーやりたいという声も!!笑

さてラグビー日本代表はほんの数年前までは弱小チームとして世界からは認知されていたのはご存知でしょうか?

私としては弱小ではなく、子どもと同じで発展途上のチームだったと感じます。

なぜここ10年余りでここまで強くなったのか、まとめてみました。

目的が明確

ラグビー協会の目標は、こうである。

[『ノーサイドの精神』を日本へ、世界へ。]

監督のエディーさんはこう語っています。「君たち日本代表は、何の為に存在するのか?世界中が日本人はラグビーができないと思っている。その価値観を変えるために君たちが存在するんだ」つまり、「日本人にもラグビーができることを証明する」というのを明確な目的にしたからです。

Ocean BCにも明確な目標は存在します。『野球を通して自立した子どもの育成』あくまで野球は付属です。ただ、野球ならではの特徴があると感じています。礼儀や人を敬う精神は野球が突出していると感じています。その特徴を生かし子どもの自立心を教育していきます。道具を綺麗におく、整理整頓する。両親に感謝する。当たり前の事を厳しく指導するのが日本の野球のベースだと思います。
そういったクラブの方針をクラブに関わる全ての人が共有する事で子どもの未来もラグビー日本代表みたいに明るくなるのでは無いでしょうか。

世界との接点が増えた

After Match Function

ラグビー独特の催しのことであり、試合終了後、両チーム選手やスタッフがお互いの健闘を称える交歓会の場があります。

歴史的に遡ると鎖国をしていた日本は、島国日本の中での情報共有が基本だった。今はITインフラの発展により、情報が取りやすい時代になった。一方で直接人と人が関わる能力が求めらる世の中になり、個々の能力も他国の選手からの刺激もあり進化を遂げたのであると感じます。

Ocean BCも仲間との関わり方に工夫設けています。異学年との交流により、年齢を超えた人との関わり方を大切にします。人から学ぶ事が何より一番心を動かされるのでは無いでしょうか?今回のラグビーW杯も心を動かされるエピソードが沢山あります。

協会のイノベーション

6年前からラグビートップリーグの外国人出場枠が2人から3人に増えて、3年前から5人に増えた。また、5人の中でも国の代表歴がある選手が2人とそれ以外の選手が3人になっている。
これまで以上に代表トップクラスの選手が召集されやすくなり、代表に入りきれなかった有望な外国人が多く来れる。また、リーチマイケルキャプテンを筆頭に日本に対する愛情から帰化している選手もいる。

※帰化選手一覧
リーチマイケル、ラファエレティモシー、ヴァルアサエリ愛、等

この中で現代の日本の若い世代に多く見られる、安定志向が向上心を抑制しているのでは無いかと感じます。
変化(成長)をするなら、『環境』を変えなければならない。環境を変える勇気も今後、社会で活躍する子供達に必要な事かもしれないですね。
時代の流れは急速に進んでいます。時代において行かれないようにするには自らの歩みを進めることは必須です。そういった環境もこの野球教室で作り上げなければならないですね。
以上が当クラブがまとめた内容です。
それでは来週の10月20日に南アフリカとの因縁の対決!!ぜひお子様と一緒にラグビー日本代表を応援しましょう!!

子どもの未来のために。

期待の夏合宿!!

今年の夏は2つの合宿を行う予定です。

こども達が期待している分、コーチも力が入って準備していきます。

まずは野球が大好きな君に届けます。

夏の甲子園合宿

夏の甲子園と言えば、野球をやっている人の醍醐味です。

暑い夏、泥臭い夏、汗きらめく夏、涙の夏…

色々あります。

どんな夏にするかは君たち次第です。

コーチ達は、泣くのも喜ぶのもすべてが良い経験になると思っています。

集まれ 野球好き!!

詳細は以下の通りです。

※合宿の受付が開始しました。

ご予約は当クラブのお問い合わせフォームでメールかお電話で対応いたします。

当スクールの生徒は担当者がご対応いたします。

夏のスプラトゥーン合宿

次は夏のスプラトゥーン合宿です。

スプラトゥーンと言えば、ゲームにもありますよね?

楽しい!涼しい!

夏の暑さをみんなで吹き飛ばそう!!

夏のスプラぁぁぁぁぁぁッシュっ!?

お子様を預かる1泊2日の間にどんな成長が待っているのか?

保護者様もうれしい成長が待っている?!

※合宿の受付が開始しました。

ご予約は当クラブの下記お問い合わせフォーム、メール、お電話で対応いたします。

当スクールの生徒は担当者がご対応いたします。